カナダの教育現場から⑨ ~What is Fair?を考える
知る人ぞ知る、
実態は、
ほとんど知る人のいない連載(多分)第9回です😅
日本で育った私にとって、カナダの教育環境は不透明極まりなく、いつまでたっても慣れるものではありません。
授業参観も、教科書もなく、宿題も学校行事もほとんどなし。
学校やクラスの様子、何を学んでいるのかも、よく分かりません💧
それが、
コロナによる休校措置、ある日を境に、オンライン授業が始まることとなりました。
オンライン授業、改善点は大ありです😶
書きだすと、相当長くなります💧
ただ、
子どもが普段、どういう教育を受けているのかを垣間見れたことは、大きな収穫でした。
学習素材や課題が送られてくる=今、何を学んでいるのかが見える。
週に数時間、オンラインのクラス授業がある=授業や先生、クラスの雰囲気が分かる。
良い意味でも、悪い意味でも、貴重な経験でした。
...久々にかなり関わりましたよ、ネーサン😁
今日は、
次男(小3)の、かなり真剣に取り組んだ課題について書きたいと思います。
真剣に取り組んだのは、息子。。。
以上に私デス💧
はまってしまい、新しい課題が届くと、いの一番に開いて「うーむ🤔」となり、また、久々に英語の勉強にもなりました。
テーマは、‟What is Fair?”
日本語に訳すと、「公平(フェア)とは?」という感じでしょうか。
カナダは多民族国家ゆえ、様々な人種、宗教観、価値観を認めあうための教育が幼いころからなされます。
普段から、またオンライン授業期間中も、継続的にそうした類の課題はありましたが、例の米ミネソタ州事件以降は、「Fairな社会を望みつつ、叶えられない社会の本質をとらえようとする課題(深読みしすぎかもしれないですが、私の中では、そうとらえました)」が加わりました。
人種差別の歴史や概要の確認にはじまり、
自分の住む社会や学校にどんな差別(人種、男女等の差別、いじめ問題まで含めて)があるか、
差別をなくすための既存の取り組みを探してみよう、
差別をなくすためにはどんな取り組みが期待できるか等々、
クラスで話し合いをしたり、動画や本で見聞を広めたり、文章にまとめたり、詩や絵で表現したり......いろいろやりました。
。。。結構大変だった💧オンライン授業、親の負担も増えます😓
算数の宿題以上のボリュームが割かれることに、カナダらしさを感じます。
だいぶいろいろなことが分かる年齢になったとはいえ、まだそこは小学校3年生。
担任の先生も、「野球チームに、入部希望の女の子が入れないのは、男女差別かしら?」、「今までに不公平を感じた経験はある?(親子や兄弟間の不公平について話した子が大多数(笑))」のように、日常生活の分かりやすい場面に話を落として考えさせたりしています。
どの課題でも共通するのは、多様な価値観を認め合う姿勢と等しく尊重されるべき人権の確認です。
これがクラスの子供たちの間で確認されるのを見るたびに、さすがだなと感心します。
先週の課題は、
「EqualityとEquityの違いを考えてみよう」
でした。
日本語に訳すと、
★ Equality=平等、対等
★ Equity =公平、公正
などと出てきます。
どちらも同じような意味に聞こえるけど、それらの違いをとらえようという課題でした。
引用: interactioninstitute.org and madewithangus.com
この絵から見て取れる意味の違いは、
★ Equality=すべての人に対して、平等な待遇であること
★ Equity =状況に応じて、(対応としては平等ではないにしても)結果が等しくなるように、配慮、待遇されること
でしょうか。
授業中、「じゃあ、Equityの方がいいの?」という声が上がりました。
たしかに、この絵だけ見ると、そうともとれるかもしれません。
担任の先生からは、以下のような話がありました。
「例えば、私(=先生)は、算数の時間、ペンと紙を皆に同じように配ります(Equality)。また、その授業中、分からない子がいたら、考える時間を延長してあげますよ(Equity)。」
人種差別のみならず、この社会には、様々な不公平が、確実に存在しています。
平等(Equality)であり、かつ公正(Equity)であること。
どちらも大切で、どちらも必要ということなのでしょう。
万人が納得し、満足する、平等かつ公正な社会の実現は、極めてハードルが高い。だって、人によって背負うものは様々、考え方も満足度も様々。
いつの時代も何か差別的なものが残ってしまう根源は、そんなところにもあるのかもしれません。
ただ、ものすごく根幹の、皆同じ人間だということ、人種や性別等による差別は断固として許されないこと、多様性は尊重されるべきであること、これは絶対に忘れてはならない。
よりよい社会を作るための声を枯らさず、不断の努力をしていくことは、国家のリーダーのみならず、私たちにも求められることです。
そういったことを幼いながらに一生懸命考える、子供たちの様子を見ることが出来たのは、親として、嬉しく頼もしく思いました。
一方、私は💧
様々な差別の歴史やら背景やら、平等・公平・公正の定義やら、各国の社会保障制度の違いやら、ベンサムの功利主義を思い出してみたり、はたまた公正な社会は実現できるのか?なんて考えだしたら、まんまと深みにはまってしまい...久々に脳みそフル回転しました。
。。。読み返したら、なんてまとまりのない内容😨いきおいで投稿しましょう💧
読んでいただいた方、ありがとうございましたm(__)m