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まれにいいこと

小さないいこと探しながら、今日もなんとか暮らしています。

カナダの教育現場から① ~みんな違うのが、当たり前という話~

次男(7才)のカバンに、こんなものが入っていた。

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Social Study(日本の小学校でいう、社会科と生活科を合わせたようなもの)の時間に使ったものらしい。

 

カナダでは個人の教科書がない。

毎日の持ち物は、弁当、おやつ、水筒のみ。

教科書や筆記用具などは、共有物として学校で貸し出される。

そして、授業参観もない。

ちなみに、うちの子どもたちは、宿題もない。

よって、私は、子どもたちが学校でどんな勉強をしているのか、まるで分からない......

たまーに、こんな風に持ち帰ってきたものを頼りに、

「なるほど、今はこんなことを勉強しているらしい」

と、推測するのみ。

 

話は戻って、ここ最近、Social Studyの時間に、

「世界にいろんな国や環境、それに準じた暮らしがある」

ということを勉強している模様。

カナダは多民族国家なので、物心ついたときから、

世界には、いろいろな国や暮らし、人種が存在することを

実社会で目にすることもできるし、教育として徹底的に教えられる。

特に、原住民や人種差別に関しては、日常的に教育の中に組み込まれる課題。

キーワードは、Respectどんな時も、必ず、この言葉が生徒の前に掲げられる。

 

世界には、異なる環境が存在し、異なる暮らしがあって、異なる人たちがいること、

それが当たり前で、等しい存在だということ、

これをものすごく幼い、どの程度理解できているのかも分からない段階から教えられる。

でも、ある日、これが、子どもたちが生きている、現実の小さな社会の中にも生かされていると知る。

クラスで、異なる服装や考え方、違った行動をする子がいても、

自分たちと何ら変わりのないクラスの一員として受け入れられる。

外見も、服装も、暮らし方も、考え方も、行動も、

違っているのが当たり前だと分かっているのだ。

これは、カナダで子育てをして、感動したことのひとつだった。

 

最近、読み聞かせた本から。

こねこムーとナナちゃん (ポプラ社の新・小さな童話) [ 江崎雪子 ]
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『こねこムーとナナちゃん』江崎雪子作

これは、『こねこムー』シリーズの中の1冊。

カナダの図書館で偶然出会った1冊で、シリーズ本とは言え、私はこの1冊しか知らないのだが... 

 

黒い木馬を探し、迷子になってしまった、こねこのムー。

森の中で、ねこのナナと出会う。

ナナは足が悪く、皆と同じように行動できないので、いじめられている。

それでも、誰にも負けない、美しい自慢のしっぽをほこりに生きていた。

ところがある日、ナナは、仲間が犬に襲われそうになっているところを助け、自慢のしっぽを噛みちぎられてしまう。

皆に勇気をたたえられ、いじめていたことを詫びられる、ナナ。

しかし、命は助かったものの、足はさらに悪くなり、自慢のしっぽもない。

哀れがるムーにむかって、ナナは、

「ううん、ムーちゃん、わたし、もうしっぽがなくてもだいじょうぶになったの。」......(中略)......

「しっぽがなくても、わたしはわたし。ね、そうでしょう?」ーーーp.82引用

日本は、国際化がすすんでいるとは言えども、

同グループ内で、同じ考え方や行動パターンであることが、

暗黙の了解のように要求される。

おそらく、皆と異なる存在としていじめられてきたナナ本人ですら、

自らを異質な存在と思ってきたのだろう。

だからこそ、美しいしっぽを誇ることによって、

皆と同じネコたる自分の存在価値を、

自分なりに見出してきたのであろう。

しかし、しっぽを失ってなお生きている自分と、

真の友達との出会いが、

同じ生きている存在として、そこには何の優劣も違いもない

ということを教えたのだ。

まさに、Respectがテーマのお話。

皆が違って当たり前、カナダの教育方針には学ぶものがあると思う、今日この頃。