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まれにいいこと

小さないいこと探しながら、今日もなんとか暮らしています。

また、上野千鶴子さんに学ぶ

上野千鶴子さんの東京大学入学式における祝辞が話題になっている、というニュースを目にした。

週末、子どもの行事でばたつき、今やっと落ち着いて、目を通している。

上野千鶴子さんと言えば、東京大学名誉教授で、あまりにも有名な女性社会学者。

日本の家族社会学ジェンダー社会学における第一人者で、大学で社会学を専攻していた私は、何度彼女の名を聞き、何冊彼女の本を読んだか知れない。

 

大学の祝辞に、今も社会にはびこる性差別問題を指摘し、これからの社会に必要な知を、どのように身につけていくか説く姿に、彼女の強さと、年齢を重ねても尚衰えぬ、発想の斬新さを見た気がした。

 

以前なら、社会学を学ぶ立場で彼女の話に感銘を受けたのだろうが、今は家族や子を持つ視点から学ぶことが多かった。 

最近ノーベル平和賞受賞者のマララ・ユスフザイさんが日本を訪れて「女子教育」の必要性を訴えました。それはパキスタンにとっては重要だが、日本には無関係でしょうか。「どうせ女の子だし」「しょせん女の子だから」と水をかけ、足を引っ張ることを、aspirationのcooling downすなわち意欲の冷却効果と言います。マララさんのお父さんは、「どうやって娘を育てたか」と訊かれて、「娘の翼を折らないようにしてきた」と答えました。そのとおり、多くの娘たちは、子どもなら誰でも持っている翼を折られてきたのです。  

 

私は娘こそいないが、子育てをする身として、この言葉に考えさせられるものがあった。

子どもの翼を折らないこと。

可能性を否定しないこと。

子どもが思うように動かないと、ついイラついて、制限を課してしまったり、修正してしまったり。

信じて見守ることの難しさと大切さを再確認した。

 

あなたたちはがんばれば報われる、と思ってここまで来たはずです。ですが、冒頭で不正入試に触れたとおり、がんばってもそれが公正に報われない社会があなたたちを待っています。(中略)あなたたちが今日「がんばったら報われる」と思えるのは、これまであなたたちの周囲の環境が、あなたたちを励まし、背を押し、手を持ってひきあげ、やりとげたことを評価してほめてくれたからこそです。

  

頑張っても報われないことがある。

評価されないこともある。

ましてや、出端をくじかれることすらある。

大人になるにつけて感じる、頑張ることの、ひいては生きていくことの虚しさすら感じる言葉だ。

できれば、自分の子どもにはそんな思いはさせたくないなぁ...

 

頑張ったことが認められたのは、周りのおかげ。

認めてくれる誰かがいたから、恵まれた環境にいたからにすぎない。

せめて私は、ずっと子どもの一番の応援団であり、理解者でありたいな。

 

......それにしても、希望に満ちている新入学生に、随分シビアなこと言うなぁと思ったのだが、 

 

あなたたちのがんばりを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。
恵まれた環境と恵まれた能力とを、恵まれないひとびとを貶めるためにではなく、そういうひとびとを助けるために使ってください。そして強がらず、自分の弱さを認め、支え合って生きてください。
女性学を生んだのはフェミニズムという女性運動ですが、フェミニズムはけっして女も男のようにふるまいたいとか、弱者が強者になりたいという思想ではありません。フェミニズムは弱者が弱者のままで尊重されることを求める思想です。

 

上野さんは、これが言いたかったのだな、と分かる。

人と人とが認め合い、尊重し合う環境を作る。

自分だけが認められる環境に甘んじるのでなく、弱者が認められる環境を作っていってほしいということ。

公正に報われない社会を、人々が尊重し合い、支え合っていくことによって、少しでも公正化していくための努力をすべきだと、そういう環境を作るのが、君たちの使命だと言いたかったのかな。

 

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これからあなた方を待っているのは、正解のない問いに満ちた世界です。

(中略)未知を求めて、よその世界にも飛び出してください。異文化を怖れる必要はありません。人間が生きているところでなら、どこでも生きていけます。

(中略)大学で学ぶ価値とは、すでにある知を身につけることではなく、これまで誰も見たことのない知を生み出すための知を身に付けることだと、わたしは確信しています。知を生み出す知を、メタ知識といいます。そのメタ知識を学生に身につけてもらうことこそが、大学の使命です。

 

たしかに、答えのない社会で生きているからこそ、衝突したり、悩んだり、挫折したり...そういうことを、性懲りもなく繰り返すんだよな、と思う。

様々な局面でどう対応するか、その人間力を身につけるには、知を身につける、不断の努力しかない。

それを学ぶ大きなチャンスが、大学には転がっていると、それは新入学生の大きな目標となり、希望となるのだろう。

 

そして、その一人一人の知が、人間力が、よりよい社会を作り出す源になるのだと、新入学生のみならず、大学運営や社会に対しても提言したのだ。

 

ちなみに、異文化を怖れず、外に飛び出せ、人がいたら、どこでだって生きていけるというのは、私に対する応援歌だな、と受け止めました(笑)

 

上野さんは、女性学の第一人者だが、彼女は次のように述べている。

女性学という学問です。のちにジェンダー研究と呼ばれるようになりました。私が学生だったころ、女性学という学問はこの世にありませんでした。なかったから、作りました。(中略)女性学を始めてみたら、世の中は解かれていない謎だらけでした。(中略)今日東京大学では、主婦の研究でも、少女マンガの研究でもセクシュアリティの研究でも学位がとれますが、それは私たちが新しい分野に取り組んで、闘ってきたからです。そして私を突き動かしてきたのは、あくことなき好奇心と、社会の不公正に対する怒りでした。 

 

彼女が生きてきた時代は、今よりも、もっと、女性が苦労してきた歴史。

それを変えようと、認めてもらおうと、新たな知を求め、世に広めた、彼女の功績は大きいし、そういう飽くなき探求心が社会を動かしていくのだということを、これからの世代に伝えようとした、この祝辞の意味は大きい。

 

それにしても、同じ言葉を聞いても、立場や環境が異なれば、違うように響くものだなと思う。

大学生の頃、上野さんの思想を学んだときは、社会学という学問の視点からしか見えていなかった彼女の言葉が、今は全く違った角度から響いてくる。

たまには、こういうことを真面目に考えてみるのも、楽しい!

もう一度、上野さんの著書を読んでみようと思った、そんな月曜日。

 

引用元はすべて:https://www.u-tokyo.ac.jp/ja/about/president/b_message31_03.html