カナダの教育現場から⑧ ~素敵な失敗
少し前まで、はてなブログで募集されていた、りっすんブログコンテスト2019「迷いと決断」。投稿こそしなかったが、そのタイトルにひかれて、昔のことを思い出したり、カナダの学校に通う息子たちのことを、あれやこれやと考えていた。
日本で教員をしていた頃の話。
迷いや悩みのない生徒なんて、一人もいなかった。
友達や異性との関係、家族のこと、学業のこと、進路問題、部活のこと、将来のこと、障害のこと、金銭面のこと、正体のない漠然とした不安......
驚くほどの悩みや迷いの中で生きていた子供たち。
必ず、こんなお決まりの言葉が出てきた。
「失敗するに決まってる」「私なんて...」「絶対ムリ」「恥をかきたくない」「目立ちたくない」「笑われたくない」「知られたくない」「嫌われたくない」「やるだけ無駄」「反対されるに決まってる」......
でも、「後悔は、したくない。どうしたらいいんだろう?」
だったら、とりあえずやってみるしかないではないかと思うのだが、その決断ができない。
なぜなら、架空の世界で、失敗や恥じの経験、苦労する風景だけが、無駄に膨らんでいるから。自らの負の妄想に気力を削がれて、道を踏み外してしまう妄想に取りつかれて、はじめからあきらめてしまっているのだ。
「迷いの数だけ、決断がある」というのが、理想なのだろうが、そこには、圧倒的な「迷い>決断」という図式があった。
一歩が踏み出せない背景、いろいろな原因があると思う。
画一化、均一化が重視される学校教育の中で、多様性が認められず、子どもたちの個性が行き場を失っているとか。
子どもたちの忙しすぎる日々の中で、自分のための時間を作り出す余裕がないとか。
そして、大きな原因のひとつに、「失敗に対する負の概念が強すぎる」というのがあると思う。
失敗することは、恥ずかしい。
そして、行きついてしまう、「失敗する(かもしれない)から、やりたくない」という考え方。
最近、次男(8歳)が取り組んでいた課題。まず、キーワードが私的にツボ!
“Mistakes are magical.”
なんか……ディズニー?聞いただけで、ちょっと楽しい気分に。私だけ(笑)?
そういえば、カナダで出会う子どもたち、楽観的な子どもが多く、驚くことが多い。恥と無縁とでも言おうか。失敗することを恐れない。失敗しても恥ずかしいと思わないし、誰かがからかうというようなこともない。それがすごく不思議だったのだが、息子の課題を観察して気づいたことがあった。
課題の導入方法が、よくある「失敗から学ぼう」ではないこと。
これだと、どうしても、「失敗にはマイナスイメージがあるけれど、そこから学ぶことも多いよ」というマイナスからのプラス転化。
息子たちの取り組みでは、「成功の鍵は失敗すること!失敗するって素敵なこと。どんどん失敗するべき」というような、完全にプラスからの導入。そこに、マイナスの要素がまるで介入していない。
結局、言いたいことは同じ、「失敗を恐れるな。失敗から学ぼう」なのだが、導入の仕方によって、子供たちへの「失敗」という言葉がもたらすイメージは、全然違ったものになる。
過去の名言から。
私は今までに一度も失敗をしたことがない。1万通りのうまくいかない方法を発見しただけだ。
私たちは失敗しない。勉強しているだけだ。(アン・ウィルソン・シェイフ)
失敗することに対する、マイナスのイメージが、かけらもない。
「子どもには失敗を恐れず、いろんなことに果敢にチャレンジしてほしい」と思う親、多いのではないだろうか。
「失敗に屈することなく、前向きに生きたい」と願う人、多いのではないだろうか。
そのためにも、幼少期に、「失敗」にマイナスイメージを与えない教育、素敵だなと思った。
長男(小4)の漢字練習帳。ちょうど、このタイミングで!、「失敗」という漢字を練習しているのを発見。例文が…とことん暗い(笑)
引用元:株式会社 文渓堂 新くりかえし漢字ドリル(小4・1学期)
話は次男の課題に戻るが、今は、そこから一歩進んで、自分の未来をつくるという作業に取り組んでいる。自らが、Change Makerになって、何かを変えていくという取り組みだ。
「これは難しいだろうな、現実的には無理だろうな」と思うものでも、子どもたちは想像する。
その自由な発想を支えるために、失敗をつまずきに変えない思考力を育てていきたいものだ。
また、昨今、失敗をここぞとばかりに批判し、たたく風潮があるけれど、子どもたちがそのせいで、何かにチャレンジする気持ちを失ってしまわないこと、
子どもたちが壁にぶつかった時、そこから立ち直り、前に進む機会まで奪ってしまうような、そんな冷たい社会ではないことを願ってやまない。
カナダの教育現場からシリーズ、最近の投稿から~