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まれにいいこと

小さないいこと探しながら、今日もなんとか暮らしています。

その反論、論点ズレてませんか?

空港を降り立ってからが、長旅。

電車に乗って、乗り換えて、また電車に乗って、バスに乗って……

子供たちは大きくなって、だいぶ楽になりました。

小さい頃は、疲れて、不機嫌マックス。数秒で、立ったままでも寝てしまって起きない。でも、荷物を持っているので、歩いてもらわないと困る!→起こす→号泣!の繰り返しで。

今は、「もぅ、疲れた~」とも言うし、不機嫌にもなるものの、歩いてくれます。

でも、相当疲れていることには変わりないわけで。

電車で、座りたいわけです。

カナダでは、いつでも座れるわけです。必ず譲ってくれる方がいるので。

お年寄り、妊婦、小さい子供は、必ず席が確保できます。

女性というだけで、譲ってくれる方も多いです。

それが… 日本では、席取り競争。

結局、座れず。でも、文句を言うこともなく、子どもの成長を感じました。

 

妊婦で、しかも、小さい子供を連れたお母さん。小さい子供、電車が揺れるたびに転びそう。お母さんも荷物をいっぱい抱えています。

なのに、譲らない。

おばあちゃん、おじいちゃん、ふらふらしながら立っています。

なのに、譲らない。

 

席に座って、携帯いじりに夢中になっている若者。座って、速攻目を閉じる人。

心では、見えているはずですよね?

そこに席を譲ってあげるべき人がいることが。

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もちろん、席を譲れない、譲らない理由、あると思います。

 

自分も疲れているから、具合が悪いから、ケガをしているから… 譲れなくても、仕方ないと思います。

 

断られたら恥ずかしいから、こっぴどく断られた経験があるから… 確かに、勇気をもって譲ったのに、断られること、あります。

でも、断られたら断られたで良くないですか?

それでも譲ってみたら?と思ってしまう状況、あるように感じます。

 

 

先日の「しつけ」に関する投稿で、るり子さん( id:makae )からいただいたコメントに、はっとしました。

yotoro.hatenablog.com

親に育てられた自分の経験と子育てをした経験から、子供を叱っている時って、 子供が大して悪い事をしていなくても、 母親が疲れ切ってて叱った時の方が多かった気がします(^^; 子育て中の母親をいたわる事が最も大事だと感じました^^ 

→ るり子さん、いつもコメントいただき、ありがとうございます!

 

たしかに、子どもがする悪いことって、大したことではないことが多くないですか?

大したことではないことに、ものすごく怒っちゃったりして、後で「あぁ、なんであんなに怒っちゃったんだろう?」、「なんで、あんな言い方しちゃったんだろう?」って、思ったりして。

私は、しょっちゅうあります。落ち込みます。

子どもが学校に行ってから、子どもの寝顔を見ながら、反省…毎日です(*ノωノ)

なんでだろう?

るり子さんにいただいたコメントを読んで、「私が疲れていたから、ついきつく怒っちゃったってこと、すごくある!これが一番の理由かも!」と思ったのです。

……めちゃくちゃ反省しました。

 

疲れって、笑顔も、冷静さも、やる気も、生産性も、プラス思考も…、何もかも奪っていくと思いませんか?

そして、そんな疲れに負けて、子どもに当たっちゃうなんて、本来あってはならないことなんだろうけど…

今回、電車に揺られながら、すごく小さいことなのですが、お互いに思いあえる社会になれたら、もっと笑顔の人が増えるのにと思ったのです。

 

 

そして、こんな記事を読んで、さらに反省した私。 

www.businessinsider.jp

「日本人はなぜ席を譲らない?」という疑問に、「でも、都内の地下鉄では、スリにあわない」、「宗教と文化の差」、「女性だからって、譲られるのが当然と思うのが変」という反論。

こういう論点のすりかえ、私もよくやってしまいます。。。

「でも、あの国より、日本はいい国だ」とか、「考え方が違うだけ」とか、それで片づけてしまったら、そこで終わってしまう。何も変わりません。

 

 

少し前、サッカーの長友佑都選手が、トルコと日本の子育てを比べて、「愛が足りないと感じる」、「家族への愛情や熱量が違うと思う」、「日本のイクメンという言葉に違和感を感じる」、ゆえに、「日本も変わっていくべき」と発言した際、

「トルコと日本は違う」、「トルコは他の問題を抱えている」、「日本で子育てしたことないよね?」等々、否定的ともとれるコメントが立ち並んだことを思い出しました。

 

こういう発言って、自由にあってよいと思うし、フェアに論じられるべきものだと思います。

「でも、日本はいい国だ」とか、「考え方が違うだけ」とか、それで片づけてしまったら、何も変わらない。

長友選手だって、日本よりトルコが優れているなんて言っていない。

海外に出てみて、日本では感じ得なかったこと、日本もこういう風になるといいなと思ったことを紹介しているのだと思います。

変なプライドで、見栄で、あきらめで、今の環境を見直したり、よりよい社会を作る歩みを止めてしまうのはもったいないこと。

 

思えば、私もこういう論点ズレの反論、よくします。

特に夫に対して。「あなたとは、育った文化も環境も違うしね。それは議論の余地なし!」とばかりに、早々にシャットアウトしてしまいます。

もっと建設的に論じられるべきこと、改善できることって、たくさんあるのに。

単に疲れていてシャットアウトしてしまうこともあります。

人の考えや意見に耳を貸す、良いものは素直に良いと認め、改善できることは改善していく、心に余裕を持ちたいというのかな?そんな人間でありたいと考えた電車の一件でした。