ゆめぴりかと、祖母と。
北海道に住んでいた、今は亡き、私の祖母。
幼い頃は、夏休みのたびに北海道を訪ねていたのだけれど、
そのうち、部活だ、受験だ、進学だ、就職だと、
会うことがままならなくなり。
それからは、時々電話で話したり、手紙のやりとりをしたり。
元気で、ひょうきんで、おしゃれで、新しいものに寛容だった祖母。
保守的な家庭で育てられた、異端児の私。
祖母だけが、「そうかい、そうかい、素晴らしいねぇ」と、
いつでも私を認め、褒めてくれた。
会社を辞めて留学したいと言ったとき、反対する周囲を押しのけて、
たったひとり味方になってくれた、祖母。
留学先に、「これって、ほんとにつながってるの?」と言いながら、
真っ先に国際電話をかけてきてくれた、祖母。
私と連絡が取りやすいからと、メールアドレスを取得し、
叔父のパソコンからメールをくれた、祖母。
国際結婚を決めたとき、両親の心配をよそに、
ただただ、「よかった、よかった、素晴らしいねぇ」
と言い続けてくれた、祖母。
思い出すのも辛かったであろう戦争の話を、
命の尊さを、
涙ながらに、語ってくれた祖母。
亡くなる前、私の近況を伝え聞いて、
笑顔を見せたという、祖母。
大切な祖母は、もういない。
数年前、子どもの夏休みを利用して日本に帰った折、
祖母と同居をしていた叔母から、荷物が届いた。
北海道産「ゆめぴりか」。
「うちで食べてるお米。北海道産のお米って、食べたことないっしょ?」
食事の時間でもないのに、さっそく炊いて、食べてみた。
カナダでも日常的に、アメリカ産の日本米を食べてはいるけれど、
土の違いか、空気の違いか、水の違いか、
こんなにおいしいお米が、世の中に存在するなんて。
ほくほくで、甘くて、一粒一粒に旨みが満ちていて。
子どもと一緒に、「美味しい、美味しい」と、
果てしなくおかわりをした、あの日。
祖母との思い出も、果てしなく心に浮かんできて。
納豆ご飯ではじまる、祖母の朝。
祖母が最期に口にしたのも、
ゆめぴりかだったのかもしれない。
祖母と一緒に食卓を囲んだ、夏のあの日は、
もう二度と戻ってはこないけれど。
祖母がいつまでも元気だと思いこんでいた自分勝手な過信も、
もっと会いにいけばよかったという後悔も、
取り戻すことはできないけれど。
祖母の言葉に、今も支えられていると気付いたあの日から、
日本に戻ったら、何よりも先に、ゆめぴりかを食べる。
祖母が私の中で脈々と生き続けているのを感じながら。