まれにいいこと

小さないいこと探しながら、今日もなんとか暮らしています。

向き合うということ ~問題解決への道

10月初旬、カナダ・オンタリオ州で、悲しい事件がありました。

いじめにあっていた14歳の男子生徒が、学校で、母親の目の前で、刺殺されたのです。

いじめのことは、母親からの申し出で、学校側も認識しており、停学処分になっていた生徒もいたようです。

㊟ 今回の犯行は、停学処分中だった生徒によるものではないようです。

目の前で愛する我が子を失うという、想像を絶する辛い思いをされたお母さん。

事件後、気丈にインタビューに答えていた姿が、今も思い出されます。

「学校は、いじめは許さないなんて謳っているけど、いじめは確実に存在している」というようなことを語っていました。

そして、二度とこんな惨事が起こらないために、いじめ根絶に向けて今取り組むべきだと、その後もメッセージを送り続けています。

Devanくんのご冥福を祈り、お母様の言葉に敬意を表すると共に、この状況が少しでも変わっていくことを願ってやみません。

www.cbc.ca

 

 

カナダは多民族国家です。

様々な人種や信念を持った人が混在しており、幼少期から、徹底的に「多様性を認め合う」という教育がなされます。 

yotoro.hatenablog.com

 

自尊心を高める取り組みもたくさんあります。

「特別な自分」という自己肯定を通して、同様に特別な存在である他者をも認め、「かけがえのない、特別な一人一人が、この社会を作っているのだ」と学んでいっているように思います。

yotoro.hatenablog.com

 

年間行事の中には、大々的ないじめ根絶を訴える運動もあります。 

yotoro.hatenablog.com

 

こうした学校教育の取り組みもあってか、これほど入り組んだ社会でありながら、いじめが圧倒的に少ないと信じていた私は、今回の事件に大変なショックを受けました。

 

 

「いじめは存在する」という事実。 

「いじめ根絶」を謳うのはいいが、具体的な策が見えてこないという焦燥感。

いじめは根深く、どうやってもなくなるものではないのではないか?

何か重大な事が表面化するまで、いじめる子といじめられる子は、同席を余儀なくされることになります。

いじめられる子が、我慢するしかないのか?

それではいじめは横行する一方です。

 

では、いじめる子を変える?どうやって?

アイデンティティの出来上がった子を変えることが、いかに大変か、日本で教員をしていた頃、たびたび経験してきました。

いじめのみならず、校則違反、違法行為、非道徳的な行為や発言...やってはならないことをしてしまう子ども。

停学や退学処分になる生徒もいます。

陰湿ないじめが担当したクラス内で起こったことはないのですが、いわゆる問題行動に関して、少ない経験ながら、いろいろと思い出してみました。 

 

問題は、「クラスでの問題提起や教員による訓戒、停学といった処分、社会的制裁が下れば、これに懲りて悪いことはしまい」と、満足してはいけないということです。

教員の中には、「問題提起したから、これでおさまるだろう」とか、「これ以上の対応はできない」とか、そんな態度も見受けられます。

(それ以前に、見て見ぬふりの教員もいましたけど。。。)

教員それぞれの考え方、多忙な業務の影響もあるでしょう。

でも、実際は、そんな風に楽観視できるものではありません。

 

問題があると認められた生徒には、訓戒や各種処分、一定期間の監視、反省文の提出、度重なる面談等、様々な対応がなされます。

ただ、いずれも、「反省させること=自分が軽率でした。もうやりませんと言わせること」が目的です。

ここが大きな問題点だと思うのです。

だいたいの子は言います。「すみませんでした。もうやりません」と。

本当にそれで解決するのでしょうか?

 

きっと、「処罰の目的が、反省を促すこと」である限り、当該生徒は変わらない。

残念なことに、再犯率が高いという事実が、それを物語っているように思います。

見かけだけの反省を促した結果、生徒の本質は何も変わっていないからです。

 

なぜ間違った倫理観が形成され、問題行動を起こしてしまうのかという、生徒の根源が見えると、だいぶ変わってくるというのを何度か経験しました。

家庭の問題だったり、幼少期のトラウマだったり、ささいな言葉への傷つきだったり、友人関係のねじれだったり、嫉妬心だったり、過度の期待に対する重圧感だったり、将来への不安だったり...

非道徳的な行動に駆り立てる根っこ、理由は千差万別です。

ものすごく時間も根気もいるのですが、ひたすら向き合って、向き合って、向き合って...その子の心の声をきくことが、一番の解決法だったと思います。

その子の問題行動を引き起こしている根源にたどり着くまでには、それはもう、ものすごい時間と根気がいります。

また、どう頑張っても理解できない子、私には心を開いてくれなかったけれど、他の先生や友達には心を開いた子、ただただ避けられただけ子...いろいろいます。

だからこそ、時間も労力も必要。

だからこそ、担任だけでなく、家族だけでなく、友人だけでなく、カウンセラーだけでなく、すべての人の力が必要。

でも、それだけの労力をかけてでも、悪いことをする子どもを変えなければ、いじめをはじめとする非道徳的な行為はなくならないのではないでしょうか。

 

いじめではありませんが、入学当初から、様々な問題行動を起こしていたA君。

話をしようと、私、追いかけます。

A君、ひたすら逃げます。

授業も上の空、掃除すら満足にできません。

おもしろがるクラスメイトはいても、友達は少なく。

何度話しても、ご両親は真剣に向き合ってくれません。

ある時、A君をいつものように追いかけ、お父さんと話したことを伝えると、「お父さん、心配してた?」と尋ねてきました。「怒っていたか?」ではなく。

その時、ふと、「もしかして、この子はお父さんに心配されたいのかな」と思ったのです。

そんな気付きから、話をすすめていくと、A君は、複雑な家庭に育った過去を、3歳の時にさかのぼって、とつとつと話してくれました。

A君は、お父さんにもっと自分のことを見てほしかったのだと気が付きました。

私は、「そういうことに、もっと早く気付けなくてごめんね」と謝りました。

A君自身も、自分の心の穴の原因が何なのか、その時やっと分かったのかもしれません。

まさに、憑き物が落ちたような顔をしていました。

ここまでたどりつくのに、1年近くかかりました。

翌日、みんなにからかわれながら、箒を持っているA君を見た時、胸が熱くなったことを今でも思い出します。

それからは、何かあれば、少しは相談してくれるようになりました。

友達も少しできたように見えました。

心に刺さった棘のようなものを見つけられると、その子の行動の根源が見え、また、理解者ができたという安心感からなのか、子どもにも変化が見られたなと実感したことは、他にもありました。

 

非道徳なことをする生徒をかばうつもりはありません。

いじめなど、人を傷つける、悪質な行為は、決して許されるものではありません。

ただ、悪いことをしてしまう子どもが変わらなければ、悪いことはなくならない。

だからこそ、そういう子どもと向き合う必要があると思ったのです。

愛情や肯定された経験が著しく欠如していたり、繊細さの裏返しだったり、その非道徳観を生み出してしまった根源を知って、悲しく思ったこともたびたびありました。

そんなことが理由で?というような、ささいな理由で悪いことをしてしまう子もいました。

それを受け止めた上で、自分自身との戦い方が間違っていることを正します。

彼らが素敵な大人になっていることを願ってやみません。 

 

いじめはよくない、いじめをなくそう、いじめにあったらどうするか?という結果を求める文言ばかりがクローズアップされていますが、具体的にはどうしたらよいのかということを考えた時、私はやっぱり子どもの心と向き合うことなんだろうと思います。

 

正直、いつ誰が被害者になり、加害者になるか分かりません。

小学校の時、かわるがわる無視される対象が変わっていたってこと、ありませんでしたか?

問題行動を起こした子どもの親と話すと、

「まさかうちの子が...」

「いやいや、うちの子は相手側の子が悪いと言っています」

これ、よくあるパターンです。

誰にでも不安、傷、闇、言えないこと、嫉妬、焦り、こういう気持ちはあるし、間違いもあります。

ただ、いじめのような非道徳な方向に、そのパワーを発散させることは決して許されることではない。

 

もっと時代にあった画期的な方法はないのかなぁとも思うけれど、やっぱり一番大切なことは、いつの時代も、子どもの心と対話することなんだろうと思います。

特にアイデンティティーが出来上がる前の幼少期、そして独り立ちするまでの期間。親をはじめ、子どもを取り巻く大人の責任は大きいです。

思い返すと、子どもと話をする、子どもを見るって、当たり前のことなのにできていないです、私。

スマホをとじて、本をとじて、子どもと1分でも長く話す時間を持つように心がけたいと思います。