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まれにいいこと

小さないいこと探しながら、今日もなんとか暮らしています。

この先の未来へ

あっという間に、感染者が約22,000人強。

国境封鎖、休校・休業措置、外出制限...私たちの生活が変わって1か月近くなる。

家族が四六時中一緒の空間にいて、家族以外の交流は一切ない。

テレビもラジオも、たまにする知人や家族との電話も、コロナのことばかり。

1日1度、短時間の子連れ散歩で目にするのは、同じように散歩をする人か、見回り中の警官。

誰かとすれ違う時、並ぶとき、買い物をする時、2メートル以上の距離を忘れない。

罰金制度も功を奏しているのか、不要不急の外出をしている人はいない。

それでも、感染者数は、急激に増えていく。

 

子ども達の習い事の一部は、オンライン授業に切り替わった。

友達や従兄弟とオンラインでの会話を楽しむ。 

休校措置が長引き、オンラインを介した学習指導も開始された。

システムがうまく作動しなかったり、初めてのことに、何かとつまづいたりしながらも、なんとか軌道にのってきた。

インターネットのありがたみを痛感する日々。

それでも、やはり、今までの日常生活の代わりにはなり得ないとも痛感する日々。

量も質も。

もっと、何かできるんじゃないか。

もっと、日ごろから準備できたことがあったのではないか。

今の生活のあちこちに、もっと何かできたはず、できることがあるはずという思いが溢れ、不安とストレスになっている。

 

そんな私が、とても考えさせらたこと。

note.com

みなさんもかなりのストレスを感じていらっしゃるのではないでしょうか。

自由に仕事ができないって、しんどいですよね。
自由に学校に通えないって、しんどいですよね。
自由に遊びに行けないって、しんどいですよね。

でもね、知ってほしいんです。この世の中には、コロナが蔓延する前から、そうした生活を強いられてきた人々がいることを。そう、私たちの社会には障害や病気とともに生きる人々がいます。 

私が今こうなって感じている不自由な社会を、ずっと生きてきた人がいる。

乙武さんは、自分たちが待ち望み、叶えられなかった、様々な選択肢が、今やっと注目されたことへの皮肉と共に、これから日常生活が戻ってきても、私たちが意図する”日常”へと戻れない、障害を持つ人たちのためにこんなことを言っている。

選択肢にあふれた世の中になってくれたらな、と思っています。そうすることで、社会から排除される人がいなくなるから。これまで排除されてきた人が救われるから。

 

乙武さんのこの投稿を読んでから、数日が経つ。

この投稿は、ここに書かれている以上のことを考えるきっかけを与えてくれた。

感染しないように気を付けなきゃ、とにかく家にいよう、感染者が今日で何人増えた... 目の前の事実だけを見ていた私に、明日も未来もあるということを教えてくれた。

この先の社会。

人とのつながり。

子ども達にどんな未来を残したいか。

未来は、私たちが作っていくものだということ。