PTAについて考えてみた③ ~学校に対する期待値
バリバリの一般企業人だった私、ひょんなことから学校の先生をやることになった。
今日は、その経験から、PTAに関して考えてみようと思う。
※ あくまでも、私個人の経験談と考えなので、ご了承ください。
私、恥ずかしながら、金八先生が大好きで、あんな風に生徒に寄り添い、寄り添われる先生になりたいと、希望に燃えていた。
生徒たちと過ごす時間が一番長くて、一番大切なことだと、信じて疑っていなかった、当時の私。
しかし、実際は、
クラス運営、教科指導、進路指導、授業参観や研究授業の準備、遠足、宿泊学習、修学旅行、課外授業、補講、各種式典・行事、風紀・生活指導、交通安全指導、部活動・遠征、各種委員会、清掃指導、留学生指導、海外留学事業、各種校外研修会、地域交流活動...
書ききれない&思い出せない程の業務量。
企業から来たから、やる気があるだろうと試されたのか、単にいじめられていたのか、はたまた嫌と言えない性格に付け込まれていたのか、何でもかんでも仕事が降ってきた。
朝は7時に出勤、深夜まで。
土日も、長期休暇もなし。
部活の試合や、海外留学の同行などで出張も多かった。
当然のことながら、クラスにはいろんな子がいた。
他のクラスで気になる子もたくさんいた。
相談に来てくれる子、手紙をくれる子、電話をかけてくる子もいた。
親からの電話もひっきりなしだった。
その対応が、優先されるべきはずなのに、日々の業務に追われすぎて、十分に対応できたとは、とても思えない。
一方、カナダでは、教員は生徒と同じ時間に出勤、退勤ができる。
私用休暇も容易にとれる。
教員もオフィスも、時間外は電話がつながらないし、休日、長期休暇は生徒同様に休む。
以前、アメリカ在住のボーク重子さんが、インタビューで、このように話していた。
「先生たちは教えるのが仕事なので、教えることしかしません。(中略)教えることだけに集中できるというのは、日本の現状と比べて非常に恵まれた環境だと思います。」
ーーー ReseMom(2018.3.12)インタビュー記事より、引用
生徒に何かあれば、学校の管理部門や、カウンセラー等の専門家に回されるし、小学校から、専門科目(音楽、体育等)は、専門の教員が担当する。
昼食時は、ランチティーチャーという、見守り担当が子ども達を見る。
教員の担当分化が進んでいて、羨ましいと感じるとともに、子どもを預けている親の立場としては、一生徒に深く関与しない担任に不満を感じることもある。
学校行事に自分のクラスが参加していても、担任が出席しないこともある。
子どものことで相談に行っても、「大丈夫。子どもなんてそんなもの」、「私は見ていなかった」、「●人の中の一人なので、そこまで対応できない」、「一度、医者やカウンセラーに相談してはどうか?」など、一線を画した対応を取られることも多い。
子どもの就学当初、他の親たちも子どもの一挙一動に敏感で、担任に相談したりもするのだが、こういう対応が続くと、次第に、学校に対する慣れも出るし、期待値も下がっていく。
もちろん、親同士で、「(学校が)もっと、こうだったらいいのにね」とか、「担任にはこうしてほしい」といった会話はある。
もちろん、担任や校長に直談判に行くということもある。
しかし、日本の学校が(表面上だけと思われる方も多そうだが)責任を持って対応してくれることや、そうした対応を期待する日本の親たちに比べると、カナダの学校が一生徒に果たす役割は少なく、親の学校に対する期待値も、日本のそれと比べるとずいぶんと低いことに気づく。
カナダでは、親も学校も、「学校は生活の一部であり、一部でしかない」という価値観が形成されているように感じる。
日本はその真逆だ。
「学校は生活の一部であり、大切な世界」という考え方と言おうか。
学校は、慣習の踏襲、学力向上、風紀維持、規律の順守、均一化...こういったキーワードにとらわれ、また、社会や親の様々な期待にこたえるべく、業務を拡大していく。
学校が、教員が、業務を拡大すればするほど、応えるべき親の目線と助力を必要とするという構造=PTAが不可欠になる。
PTAがなければ、学校は一人迷走をするだろうし、機能も停滞するだろう。
私の経験した教員の世界は、あきらかに業務過多だった。
息子が数年前、日本で体験入学をした際、登下校時にこんな光景を目にした。
その学校では、登下校の見守りを、地元の警察と老人会に要請していた。
「子どもの元気な姿が見られるのは、とても嬉しいことなのよ」と、地元のおじいちゃん、おばあちゃんが嬉々として取り組まれていた姿が忘れられない。
私が勤務していた学校は、登下校の見守りは、風紀・生活指導を兼ねた、教員の義務だった。
思い起こせば、この登下校の見守りひとつとってみても、私にとっては、その他業務との時間のせめぎ合いだった。
様々な場面でお手伝いをお願いしていたPTAの方々は、家庭や仕事との調整をつけなければならない中、ご苦労が多かっただろうと思う。
こういう議論は、長らくあるが、学校業務の外注範囲を拡大して、学校業務を減らすのは急務だ。
学校の負担が減れば、PTAの負担も確実に減る。
例えば、インターンシップの拡大。
教員を目指す学生に仕事をふる。
モチベーションをあげるために、学校の単位として認定する仕組みがもっと普及してもいいだろう。
既卒の一般社会人や専業主婦が、教育関連職への再就職を目指す際の通り道となるような、仕組み作りをしてもいい。
(→ 個人的に、今日本に住んでいたら、すごくやってみたい!)
企業からの支援。
例えば、学食や校内に商品や自動販売機をおかせてほしい、行事の際に使ってほしいなど、そういう業者は山ほどいる。
こういう業者から協賛金をもらい、そこから父兄を中心としたボランティアに、薄謝の形で業務を依頼する。
「ボランティアやインターンシップで、安全が確保できるか」ということに関して、カナダでは、ボランティアを希望する親は、警察から犯罪証明のようなものを取り寄せて、提出しなければならない規則がある。
こうしたことが、完全に安全性を保障することにはならないかもしれないが、危険性の予知や犯罪抑制の効果はあると思う。
学校に対する期待値が高いこと、それによって学校も親も負担が増えてしまうこと。
日本は見直しをするべきタイミングなのだろうと思う。
しかし、学校教育、学校生活を重視する社会、そしてそれにこたえようと奮闘する学校の在り方、カナダにとっては、学ぶべきところも多々ある。
これまた、お互いに学び合えれば良いのになと思う違いである。