まれにいいこと

小さないいこと探しながら、今日もなんとか暮らしています。

しつけの匙加減①

「箸の持ち方が悪いと結婚できない」論争?なるものがあることを聞いた。

f:id:Yotoro:20190624110556j:plain

コメンテーターとして番組に出演していたカンニング竹山さん、箸の持ち方が悪く、40歳すぎに和田アキ子さんに発見され、

「箸の持ち方が悪いということは、お前の親がバカにされとんねん!親のことを大事に思ってないから、そんななんねん!」 

と叱られ、箸の持ち方を直したという。

「お里が知れる」というやつだ。

聞いた直後は、「和田アキ子、いいこと言う!」と思った。私が完全に、親目線でコメントを聞いていたから。

 

ちょっと待てよ。しつけって誰のため?そう考えると、見方が変わってくる。

 

しつけとは、礼儀作法を教えること。でも、その本質は、「子どもが礼儀作法を会得すること」だと思う。

しつけが子どものためのものでありながら、親の体裁を守るためのものでもあるという現実

これがしつけを厄介なものにしている元凶だ。

 

 

昨今の虐待事件で、よく出てくる、「しつけをしていた」という言葉。しつけと虐待はまるで違う。

虐待親は、弱い立場の子供たちを、感情のはけ口として利用しているだけ。それを「しつけ」という言葉で正当化しようという卑怯。絶対に許されることではないし、早急に厳罰化してほしい!

 最近読んだ記事。しつけと虐待は違うこと、それぞれの定義に言及したもので、参考になった。

www.jprime.jp

ただ、

最後に「セルフチェックリスト」なるものがのっていて。

【セルフチェックリスト】
当てはまるものがあれば、行き過ぎたしつけをしてしまう可能性が。

□ 子どもに反抗されると、自分を否定されたように感じる
□ 自分の子どものことは、自分がいちばんよくわかっていると思う
□ 叱る時は、子どもがした行動よりも性格自体を責める
□ 親としての威厳は、なくしてはならないと思う
□ 子どもに謝ると、親の立場がなくなると思う
□ 子どもの頃、厳しく(体罰を受けて)しつけられてよかったと思う
□ 時によって、怒りの沸点が変わってしまう
□ 自己評価が低く、劣等感が強い 

私、複数当てはまってる……( ;∀;)

 

 

「みっともないから、やめて!」、「恥ずかしい!」……つい使ってしまう、こんな言葉。

親の面目を立てるためのしつけならば、しつけの本質的には主客転倒だろう。

 

「~はダメ」、「誰かに見られたら、どうするの?」、「もしかして学校でこんなことしてるんじゃないでしょうね?」……やってもいない、起こってもいないことに、つい必要以上の釘をさしてしまう。

「予め注意する」という事前しつけ。「怒る」ではなく、「注意喚起する」のだから、一見理想的に思えるけれど、これも親の傲慢かもしれない。

子どもには、威圧的、親による監視に思え、行動制限されるかのような、マイナスイメージを与えてしまうから。

 

「しつけ」が、「親の面目を守るため>子どものため」という比重にある時、それが守れない子どもへの凶器になってしまう可能性はある。

虐待まではいかなくても、コントロールできない子どもへのイライラ、絶望、社会に対して恥じる気持ちなど、親の心に、子どもの心に、親子関係に、マイナスなものしか生まない可能性は大いにある。

……いや、我が家の場合、そんな瞬間、結構ある。

↓ 参考までに。ベネッセ教育情報サイトより、「上手な子どものしつけ方」

benesse.jp

分かるんだけど、理想と現実のギャップが狭まらない。ついイラっとしてしまう。なぜ、できない?と思ってしまう。恥ずかしいと思ってしまう。否定的な言葉ばかり使ってしまう。

適度なしつけ、しつけの行き過ぎ、境界線が難しい。

そもそも、しつけが完璧な子っている?いたとしたら、逆にその子ども、大丈夫?

……って、できない親の言い訳か(笑)? 

 

 

何から何まで細かく言いすぎるのは避けたい。

我が家の場合、父=カナダ人、母=日本人という構成のため、求めるマナーは2か国分。他の家庭より、厳しめのしつけをしていると思う。

それでも、海外に住んでいるので、「家に上がるときは靴をそろえる」や「箸の持ち方」、「入浴時のマナー」など、あまり気にしなくてよい日本的礼儀作法もある。

挨拶、ジェスチャー、テーブルマナーなど、カナダで身に着けるべき礼儀作法も、約30%が移民から構成される多民族文化の国、そこまで厳しく求められるものはない。

そんな我が家のしつけ事情だが、先日、日本人ファミリー宅にお邪魔した時のこと。

次男がきちんと靴をそろえて家に入るのを目撃し、そんなマナーを教えた覚えのない私は驚いた。

後で聞いてみると、「お友達が靴をそろえて家に入ったから、真似した」とのこと。

細かく言わなくとも、きっと、社会に委ねて良いしつけもあるのだと思えた瞬間だった。

しかし、

教員時代、「先生、うちの子、厳しくしつけてくださいね!」やら、「まったく学校はどんな教育をしているんだ!」やら、学校にしつけを求めてくる親がいた。これまた、委ねすぎだと思う。しつけの基本は、子どもの第一社会=家庭であるべき。

 

 

厳しすぎても、ゆるすぎても……

まったくもって、しつけの匙加減って難しい。

しつけが、子どものためのものであるという本質を見失わないこと。そして、根気強く、丁寧に…その繰り返ししかないのかな?