しつけの匙加減② ~聞く子育て
昨日の投稿をお読みいただいた方、はてなスターやブックマークを付けてくださった方、コメントをくださった方々、ありがとうございます。
同じ子育て世代の皆さんからは、共感の声をいただき、「しつけが難しいと思ってるのは、私だけじゃなかったんだ!」と嬉しく思いました。
その中で、子育てをされた経験から、素敵なコメントをいただきましたので、ぜひ紹介したいと思います。
まずは、私の師匠・どーなん(id:donaneight)さん。
素敵な手仕事や釣りの話に、不器用な私も何かをしてみたくなり、また、散歩やお出かけの際に撮影されるという写真の数々は、美しい日本の風景を感じさせてくれるブログです。
そして、私のブログに、いつも素晴らしいアドバイスをくださり、私は勝手に師匠!だと思っているのです(笑)いつの日か、ぜひお会いしてみたい方!
私の考え方はチョット違うんです
躾と言う言葉は嫌いです 箸の持ち方 靴を揃える事 躾をしている自覚はなくて 「物事には訳があるんだ 箸を持つときはここをこの指と・・・」とか「靴は誰かが来たときこれでは上がりにくいでしょ こうして横に揃えて置けば 邪魔にならないし 見た目にも綺麗だしね」なんて感じで理屈と言うか理論というか ちゃんと説明をして来ました 「○○○○しなさい」などと言ったことはありません。
只、「パパはいつも話が長い」とか「くどい」とか良くいわれました(笑)
意味が分からないことは、やる気なんて起こりません。
「物事の訳を教える」ということ、忘れがちですが、子育てする上で、最も大切なことです。
「くどい」と言われるということは、「その話は、もう聞いた」ということですよね。子どもには、それをする理由が、すでにインプットされているということでしょう。
しつけって、先人の知恵、伝統です。単なる所作ではなく、その所作が文化に根付いている精神を受け継いでいくことの大切さを教えていただきました。
続いて、チョコラッシュさん(id:chocorash)さん。
お料理やお弁当が、とにかくいつもおいしそう!で、尊敬しています。お料理に使われる珍しい素材も、楽しみのひとつです。また、日々の暮らしや感じられたことのお話には、癒されたり、考えさせられたり。
そして、何より…読んだ後に、いつも温かい気持ちになります!!お人柄なんだろうなぁと思います。
私もチョコラッシュさんのようなブログが書けるようになりたい(お人柄になりたい!)と、憧れているお方です。
私は子育ては終えましたが 躾…
身を美しく🤔
全ては 思いやりにつながる事かもしれません。
お箸をきちんと使う事で 綺麗に食べる事が出来、作ってくれた人や食べ物に感謝の気持ちを形で表す事が出来ます☺️
お片づけも 物を大事にする事や皆んなが気持ちよく過ごすためだったり^ ^
何故?の点が線になり 理解できる年齢になると自然と身につくような気がします☺️
「躾」という漢字、確かに「身を美しく」と書くんですね~。
身に美をまとうということは、美しい心につながること!
調べてみましたら、躾という漢字は、国字、日本で生まれたものなのだそうです。日本人の思いが込められているものなのですね。
躾の中に、日本の美しい文化や心が宿っていると思ったら、大切に守っていこうと思いませんか?
一過性のもの、意味のないもの、思いやりの心が宿らないものは、時代をこえて残らない。私たちが受け継いできた躾、その意味を、次世代にも伝えていきたいと思いました!
忘れがちなのですが、子どもより長く生きているからといって、私たちが子どもより優れている、何でも分かっているというのは間違いです。
まさに子育ては親育て
atchanyuichan (id:atchanyuichan)さんからいただいた、ブクマコメントより。ありがとうございます!
ブログをはじめて、いろいろな方の考えを知って、私の子育てが、自分の中だけで完結することがなくてよかった!と思います。
日本で教員をしていた頃、ひとりの生徒が不登校になりかけたことがありました。
私はその子の担任として、その子と向き合いたい、問題を解決したいと、ひとりで頑張ってしまいました。
友達がいないわけでも学業不振なわけでもない。何か明確な不満があるわけでもない。どれだけ話しても、学校に来たくない理由が分からないのです。
私には解決することができず、意を決して、他の先生、スクールカウンセラーや関係機関にも相談をしてみることにしました。
結果として、様々な意見を聞くことができ、その子はその数ある意見の中から、自分が納得できるものを拾い上げ、吸収し、立派に卒業していきました。
私は、その子より人生経験があるから、きっと分かってあげられると思い込んでいたのだと思います。でも、実際には、他にももっと素敵な考えがあった。他にももっと選択肢があった。
私もその子の一件を通して、自分が持ちえなかった考えを聞いたり、議論したりするうちに、自分自身が救われたり、成長できた部分がありました。
どんどん聞く、どんどん頼る、そのために社会があるのだと思います。
特に、ひとりの人間を育てるという、子育てにおいては、「私がやらなきゃ」「こうあるべき」とひとりで抱え込むのは危険です。
自分では分かっているつもりでも、自分ひとりで出来るつもりでも、そうではないことの方が多い。
もっと聞いて、もっと頼って、自分も社会や子どもから育てられる気持ちで子育てしていいんだと考えさせられた、昨日の投稿でした。